男の無罪を証明した、勇気ある雄鶏のお話
     たまたま楽天市場で、〔バルセロスの雄鶏〕という冤罪事件の話を知りました。

     ちょっと長いですが、上記の雄鶏グッズのページから引用します。


    >むか~し、昔、ポルトガル北部・バルセロスの町での出来事でした。聖地サンティアゴ・デ・コンポステラ(スペイン)へ、巡礼の旅へ向かう、あるオトコがいました。オトコは、旅の途中、バルセロスの町で窃盗の罪に問われ、処刑されることになってしまったのです。

    >オトコは一生懸命無実を訴えましたが、誰にも信じてもらえず、裁判官に直接訴えることにしました。オトコが裁判官の家に着いた時、裁判官はローストチキンを囲んた“晩餐会”の真っ最中。そこでオトコはこう言いました・・

    >「私は何も盗んでいません!信じてもらえないのであれば、処刑が執行されるその瞬間、私の無実の証しとして、このローストチキンが鳴き出すでしょう!」。

    >裁判官がそんな話を信じるわけがありません。オトコを一笑に付し、即、絞首台へ送りました。

    >そして、ついに処刑の時間です。こんがり焼けたローストチキンが、食卓の上でスクッと立ち上がり、なんと、高らかに鳴き始めたのでした!!!

    >自分の大きな過ちに気づいた裁判官は、あわてて絞首台に駆けつけました。すると、首に巻かれたロープの結び目が“固すぎた”ため、オトコは一命を取り留めていたのです。

    >オトコはめでたく釈放され、その後、再びバルセロスの町を訪れ、聖母マリアと聖ヤコブ(サンティアゴ)に捧げる“十字架”を建てました。それが、現在バルセロスの考古学博物館に展示されている、14世紀の“十字架”だと言われています。終わり。



     窃盗で絞首刑になるなら、毎日のように死刑が執行されているとんでもない社会ではなかったのか。
     絞首刑にされるような容疑がかかっているのに、被疑者が拘束されず裁判官の家に自由に行けたのはなぜか。
     なぜ男は、ローストチキンが鳴くという途方もない弁解をしたのか。
     ロープの結び目が“固すぎた”ため、一命を取り留めたというのもよく分からない。
     
     そもそもローストチキンになっていたなら、お土産物の雄鶏も羽根がむしられてなければおかしくないか。

    ・・・いろいろツッコミたくなるのですが、この寓話から我々は何を読み取ればいいのでしょう。

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